8 天寧寺三重塔(広島県尾道市)

天寧寺三重塔(広島県尾道市

 尾道は、「文学の街」、「映画の街」、「坂の街」に加え、「福の街」としても、知られつつある。流浪の画家 園山春二氏が尾道に「招き猫美術館」を建て、町中の神社仏閣や民家、小路、植え込みに「福石猫」をその数も八八八匹放した。招き猫美術館が造られた旧市街の畳表通りも、いつしか「招福通り」と呼ばれ、尾道には、福がいっぱいやってくる街、福の街の名が加えられた。今では、駅前交番も、「福石猫」の住処となっている。
 尾道の駅を降り、線路と平行して走っている国道2号を7、8分も歩くと、千光寺参道の東側に天寧寺はある。千光寺山の緑を背景にして古塔の風情のある三重塔が望まれる。
 天寧寺は、足利尊氏の遺命によりその子足利義詮が貞治6年(1367)に建立した。代々の足利氏の庇護を受け、東西3町という規模を誇る大寺院であった。その後、天和2年(1682)に落雷によって全山が焼失してしまった。元禄年間に再興されたものの往時の規模を回復するには至らなかった。
 その山門は2階に鐘楼がある珍しい造りである。本堂の北側の小路をいくと、庫裏から不老閣への通路である渡り廊下が頭上にある。これは、大伽藍当時の名残である。また、三重塔へは、天寧寺の境内を一度出て、天寧寺坂と呼ばれる階段をかなり登る。
 塔は、嘉慶2年(1388)に建立され、全山が焼失する中で唯一被害を免れたが、上層部の痛みが激しく、元禄5年(1692)、五重の上二重が撤去され、三重塔に改修された。そのためか、全体に上からかぶさっているような重苦しい感じがある。
 天寧寺三重塔は、海雲塔とも呼ばれ、高さ25メートル、柱の上端部を少し丸める、粽(きまき)といわれる禅宗様を取り入れ、足利時代をしのぶ貴重な建築物として国の重要文化財に指定されている。
 尾道は、足利氏に深い係りをもつまちである。
 中世の頃より、交通、経済、軍事の中心として、尾道は栄えていた。建武3年(1336)2月、足利尊氏は、後醍醐帝の軍に破れて西走の途中備後鞆の浦光厳院より院宣を賜わり尾道に入り、浄土寺に参籠し、戦勝挽回を祈願する。また、瀬戸内海の地理に明るく、強力な海上輸送力を持つ尾道の豪商達を味方につける。彼等の水先案内によって九州に渡り、九州多々良浜の決戦に大勝し、東上する。その途中、尾道浄土寺に再び参籠し、戦勝の御礼と今後の加護を祈願する。足利尊氏は、その後、湊川の戦いに劇的な勝利をおさめ、幕府を開いた後、尾道の豪商等への報奨として自由な交易を認めるなどの便宜を図った。
 今では、「必勝祈願のお寺」として、多くの人々に厚く信仰されている浄土寺は歩いてすぐである。朱色に彩られた赤い門をくぐり、境内には同じく朱色の本堂や多宝塔、金堂などいずれも堂々とした構えでたたずみ、ほぼすべてが国宝として指定されている。この浄土寺は数ある尾道の古寺の中でもぜひ立ち寄りたいものである。