36 油山寺三重塔(静岡県袋井市)

油山寺三重塔(静岡県袋井市

 油山寺(ゆさんじ)には、袋井駅からバスに乗る。
 バスは、遠州森町行きである。「遠州森町」といえば「遠州もりまち良い茶の出どこ、娘やりたやお茶摘みに・・・」ご存じ、浪曲森の石松」の枕詞。「馬鹿は死ななきゃなおらない」「江戸っ子だってねえ、寿司喰いねえ」など広沢虎造の名セリフが浮かんでくる。
 森の石松の墓は、森町の橘谷山大洞院という曹洞宗の寺にある。ただし、「やくざ」の墓ということで、寺の敷地内ではなく、門前に建てられている。清水の次郎長一家のおっちょこちょいの博打打ちにあやかって、勝負運が付くと、墓石が削られ、 現在は3代目の墓石とのことである。
 油山寺は、バス停「可睡」で下車する。
 可睡は、「可睡斎」という名の寺があることによる。萬松山可睡斎は、600年前(室町時代初期)に開創された曹洞宗屈指の名刹である。十一代住職は、幼い家康を戦乱から救ったことがあり、後に家康が浜松城主になったとき、報恩のために城に招かれたその席上、コックリコックリと居眠りを始めた。その姿を見た家康は、和尚の安らかな親愛の心を悟り、和尚に「睡る可し、睡る可し」と言い、「可睡和尚」と愛称せられ、寺号も東陽軒から可睡斎と改めた。
 可睡のバス停で下車し、案内板に沿って炎天下歩いて40分。油山寺の山門が見えてきた。この山門は、維新後の廃藩置県の際、掛川城の大手門を移築したもの。この油山寺には、やはり取り壊される運命だった遠江横須賀城の白書院と遠州浅羽の代官屋敷の一部が移築されている。
 医王山薬王院油山寺は、今から約千三百年前(大宝元年)に行基が万民和楽、無病息災を祈念し薬師如来を奉安し、開山された真言宗の古刹である。昔、この山から油が出ていたので「あぶらやま」と呼ばれた。
 天平勝宝元年孝謙天皇が眼病を患ったとき、油山寺に眼病平癒を祈願し、るりの滝の霊水で眼を洗浄されたところ、眼病が全快した。以来、今日まで諸病全快、特に目の守護、眼病平癒のお寺として、「目の霊山」の名で深く信仰されている。
 また、守護神である軍善坊大権現は、足腰の病に霊験あらたかであるところから、油山寺は、「目の仏様」、「足の神様」として、日々全国から信者のご祈祷、参拝が後を絶えない。 
 源頼朝今川義元等の信仰も厚く堂塔の寄進を受け、その後徳川家康遠州横須賀城主西尾隠岐守、掛川城主大田備中守らの帰依により繁栄を見た。
 三重塔は、建久元年(1190年)源頼朝公が眼病全快のお礼に建立されたもの。その後武田・今川の兵火にあい焼失、天正2年(1574年)再建に着手、久野城主久野丹波守宗成の援助により、慶長16年(1611年)に36年間を要し完成した。塔の高さは18.25m、相輪を含めた高さは23.88m。相輪は水煙でなく宝瓶の形をしており珍しい。
 銅板葺、1、2層は和様、3層は唐様で、屋根の反りや枡組は美しい。桃山期の姿を今に伝え、長命寺滋賀県)、宝積寺(京都府)の三重塔とならんで、桃山の三名塔の一つに数えられる。国指定重要文化財静岡県最古の塔である。 
 朱塗りの塔身に屋根の緑青の緑が映え、バランスも良く、際立った美しさである。