小休止(6) 駒ヶ根・甲府の2塔を巡る

駒ヶ根甲府の2塔を巡る
 台風14号の影響で朝起きたときから、雨はかなり強く降っていた。7時の台風情報では首都圏直撃の恐れと報じている。しかし、雨雲の端がすでに長野と山梨の境界にあった。そこで、思い切って出かけることにした。
 今回は、ウィークエンドパス(JR休日倶楽部会員5500円)の利用。辰野まで2日間乗り放題である。

10月30日(土)
 大宮→09:01/[快速]湘南新宿ライン/09:30→新宿→/10:00[特急]スーパーあずさ11号(指定席)/12:09→上諏訪→12:14/ [普通]中央本線/12:24→岡谷→12:29/[普通]中央本線[普通]飯田線/13:30駒ヶ根
 
 新宿発10時ちょうどのスーパーあずさ11号は、台風の接近にも拘わらず、発車時には満席だった。添乗員がツアー客10名程度にスケジュールを説明したり、飲み物を配ったり、忙しそうに車内を動きまわっている。
 窓に土砂降りに吹き付けていた雨も、甲府を過ぎたころから次第に当たりが弱くなり、茅野では、まったく降っていなかった。どんよりと分厚い雲もところどころ薄く明るさを見せていた。
 岡谷を過ぎ、辰野から飯田線に入ると、進行方向の右は明るく、左はどんよりと真っ黒の雲に覆われている。中央アルプスを越えてきた雲も、3000m級の山々が連なる南アルプスを越えられないようだ。


 駒ヶ根駅→14:00/伊那バス中央アルプス観光共同運行/14:15→切石公園下→14:15/徒歩/14:25→光前寺


 駒ヶ根駅を降りると、雨は何とかやんでいる。バスに乗り、運転手に光前寺は行くか尋ねる。切石公園下で降り、歩いて10分であるとの返事。ご開帳というに乗客は私1人。
 運転手の話では、「今日の午前中は土砂降りの雨だった。昼ころになってやっとやんだ。光前寺は、ご開帳といっても、地元に知られている程度でほとんどの人は知らない。行く人はほとんど車、団体は観光バスで行ってしまう。バスの利用者はほとんどいない。」切石公園下に着くと、運転手は、「この先の看板のところを左に曲がり、『どんつき』を右に曲がるとすぐ光前寺です。」と教えてくれた。『どんつき』とは、突き当りのことか。
 歩いて行くと確かに道は突き当り、右に曲がるとすぐに光前寺だった。


 光前寺 14:25〜15:05


 光前寺に着くと、団体客で境内は賑わっていた。本尊の不動明王のご開帳におばちゃんたちにつながって本堂に上がる。本尊のお手から伸びる紐を握り、若住職にご印紋を頭に頂きながら、拝んでいただいた。
 本堂の脇には、霊犬早太郎の墓、その先に三重塔。三重塔は木々に包まれている。三重塔を守るように早太郎の像が立つ。

 門前に今日は市が立つ予定であったが、台風のため取りやめになったのか、空のテントが並んでいる。茶店に入り、名物『赤飯饅頭』を買おうと覗いてみる。すべて箱売りである。バラでは売らないのか聞いてみると、「バラでもいいですよ。」「一つでいいのですが。」「はい、一つですね。温めましょうか。」「はい、お願いします。」寒い日であり、温かい赤飯饅頭の甘さが口の中に広がり非常においしかった。


 光前寺→15:05/徒歩/15:12→切石公園下→15:16/伊那バス中央アルプス観光共同運行/15:31→駒ヶ根駅
 駒ケ根→15:50/JR飯田線/17:00→岡谷→17:15/JR特急スーパーあずさ28号(自由席)/18:04→甲府

 
 甲府


10月31日(日)
 

 ホテル→9:00/徒歩/9:15→長禅寺→10:30/徒歩→武田信虎公の墓→武田信玄公の墓→武田神社→徒歩/12:50→甲府駅


 長禅寺は、JR中央本線が眼の前を走る。中央本線のガードのすぐ前にとてつもなく大きな山門。線路上からでも取らない限り、山門の全景は撮ることはできないだろう。

 山門、仁王門その奥に古くからの山門がある。三重塔と、五重塔が並び立つ。住職が建築好きなのか、宮大工が修練の場としているのか。また新たに堂を一宇建てようとしている。鐘楼なのか、大きな鐘が境内に置いてある。これが「時の鐘」と話題を呼んだものらしい。

 長禅寺から信虎公、信玄公の墓へと歩く。長禅寺の裏は急傾斜地に家々が続く。道は細く、中には、車も通れない道が斜面を登る。
 信虎公の墓に行くころには、小雨が降りだした。墓のある大泉寺は、うっそうと木に覆われ、暗く寂しい。
 武田神社は、日曜日でもあり、七五三祝いやお宮参りの家族、観光客でごった返していた。さすがは武田神社である。
 千葉さな子の墓のある清運寺には、武田神社から歩いて10分ほどである。
 江戸の名門・千葉道場の「鬼小町」と呼ばれる娘。江戸に剣術修業に来た龍馬と出会い、真摯に剣に向かう龍馬の姿に心惹かれていく。NHK大河ドラマ龍馬伝」で、貫地谷しほりが演じていたこの千葉佐那(ちばさな)、本名を千葉さな子という。
 晩年、さな子は千葉灸治院で生計を立てていた。山梨の自由民権運動家として知られる小田切謙明・豊次夫婦がたびたびさな子の灸治院を訪れ、親交を重ねた。さな子は、明治29年千住で亡くなり、谷中の天王寺谷中霊園)に埋葬されるが、無縁仏になるのを恐れた豊次が分骨をし、清運寺内の小田切墓所にさな子の墓を造った。墓石には、表に「千葉さな子墓」、裏に「坂本龍馬室」と刻まれている。
 甲府は、龍馬との縁があろうと、「龍馬伝」の宣伝はあまりしていない。あくまで、武田信玄公の町である。「風林火山」の幟が立ち並ぶ。
  
 甲府→13:29/JR特急かいじ112号(指定席)/15:06→新宿→15:18/JR湘南新宿ライン特別快速(自由席)/15:46→大宮