70 真正極楽寺三重塔(京都府京都市)

真正極楽寺三重塔(京都府京都市

 真正極楽寺は、金戒光明寺の北隣にあり、神楽岡という丘を息を弾ませて登ったところにある。
 正式名称は「鈴聲山真正極楽寺(れいしょうざんしんしょうごくらくじ)といい、比叡山延暦寺を本山とする天台宗のお寺であるが、本堂の通称から、真如堂と呼ばれる。
 真正極楽寺とは、「極楽寺という寺は多いけれど、こここそが正真正銘の極楽の寺である」という意味。
 今から、約1千年前の永観2年(984年)、比叡山の戒算上人が、一条天皇の御母東三条院藤原詮子の御願によって、神楽岡の東の離宮内に堂を建て、延暦寺常行堂に安置された慈覚大師の作と伝える阿弥陀如来像を移して安置したのがこの寺のはじまりでという。
 しかしながら、応仁の乱(1467〜77)の時、この辺り一帯が東陣となり、その戦火で堂塔は消失。ご本尊は比叡山の黒谷、そして滋賀県穴太(あのう)に避難。その後も京都室町勘解由小路(足利義輝邸)、一条西洞院を転々とした後、旧地にもどり再建されたのが、永正16年(1519年)。その後、天正6年(1578年)に秀吉により京極今出川下るに移転するが類焼し、ようやく元禄6年(1693年)、東山天皇の勅により、再び旧地にもどり再建された。
 真正極楽寺には、国の重要文化財真如堂の縁起絵巻」上・中・下巻がある。
下巻で、真如堂が戦乱により荒廃し、足利義政の時代に入り復興をとげたことが描かれている。
 ここで、悪女や悪妻などといわれて、応仁の乱にかかわった日野富子という女性が出てくる。日野富子とは、足利八代将軍、義政の正室である。
 日野富子というと、平成6年 (1994年)4月〜12月 に放映された」NHK大河ドラマ花の乱」主演の三田佳子を思い浮かべる。しかし、その視聴率は、歴代大河の中で最低(全話平均14.1%)だったそうである。登場人物になじみがないためストーリーが分かりにくく、それに悪女日野富子が主人公ということもあって人気が無かったからであろうか。 
 現在、放映されている「平清盛」は、開始直後に画面が汚いといわれ、視聴率が上がらず、22回(6月3日放映)までの平均視聴率は14・0%と最低を記録し、全話平均が「花の乱」を下回ることが予想されている。「花の乱」は、映像も美しく、独特の雰囲気を持った印象的な作品として多くの人の支持もあった。これに対し、「平清盛」にはあまり弁護の声も挙がらない。
 朱塗りの山門をくぐると、なだらかな勾配でゆったりとひろい石段が続き、正面に本堂、右手に真如堂のシンボルである三重の塔が見える。
 三重塔は、宝暦年間(1751〜1763年)に建立されたが、その後焼失し、江戸時代後期の文化14年(1817年)に再建された。さらに昭和9年(1929年)に修理が加えられ、その時、奉安されていた四天王像が腐食していたために、新たに多宝塔を安置し、現在に至っている。
 建造は古いものではないが、和様でかなり大型である。江戸期に建てられたものとしては装飾は控えめで、本格的造りであり、古い塔の面影を残している。本瓦葺で、高さは約30メートル。京都府文化財に指定されている。
 真如堂阿弥陀様は、”うなずきの阿弥陀”とも呼ばれ、それは「比叡山をお守りください」と言うと首を横に、「では京に下って女人をお救いください」というと首を縦にふったためといわれている。それ以来、女性を救ってくださる阿弥陀様として女性の信仰を集めているという。当日は、天気穏やかならず、参詣客も男ばかりだった。