72 金剛院三重塔(京都府舞鶴市)

金剛院三重塔(京都府舞鶴市
  三島由紀夫の「金閣寺」を久しぶりに読み返した。
  その書き出しに、  

 「幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。
  私の生まれたのは、舞鶴から東北の、日本海へ突き出たうらさびしい岬である。父の故郷はそこではなく、舞鶴東郊の志楽である。・・・」

 そして、海軍から逃げた脱走兵が、金剛院の御堂に逃げ込み、憲兵が脱走兵の恋仲の女を連れて追う話へと展開する。
 
  「金剛院は名高かった。それは安岡から歩いて十五分ほどの山かげにあり、高丘親王の御手植の栢や、左甚五郎作と伝えられる優雅な三重塔のある名刹である。夏にはよく、その裏山の滝を浴びて遊んだ。」 

 金剛院は、舞鶴市の東部、志楽川支流・鹿原川の奥にある。紅葉の名所として、また、「三重塔」のある寺として知られている。JR松尾寺口駅を降り国道27号線を20分も歩くと、金剛院口の標識があり、点滅信号を左へ入って8分の所にある。真言宗東寺派の寺院で、「鹿原(かはら)の金剛院」といえばわかるが、正式には鹿原山金剛院(慈恩寺)という。
 金剛院は、天長6年(829年)、平城天皇第3皇子の高丘親王弘法大師10大弟子の一人・真如上人)によって創建された。白河天皇が復興し、勅願寺慈恩寺と号す)として、三重塔を建立したと伝える。また美福門院も、平忠盛を造営奉行に任じ、阿弥陀堂・食堂・浴室などを整備したとされる。往時は金剛院ほか12坊があったが、現在は金剛院1坊が護持する。
 すぐに境内へ入らず、右脇にある公園へと進む。公園からは、真正面から三重塔を見ることができる。和様の塔で、軒の出が深く水平への広がりを持つ。緑に映えて三重塔が美しい。
 室町時代中期建立、杮葺、高さ24.6m、国の重要文化財に指定されている。昭和25年(1950年)に解体修理され、相輪を新補し完全に復旧された。
 山門をくぐると、参拝料箱が置かれている。参拝料を払って境内に入る。参道を奥へ奥へと進むと三重塔が見えてきた。塔内部には、四天柱が設けられ来迎壁には花頭窓がついている。須弥壇には真如法親王(高丘親王)の坐像が安置。
 塔の手前に古びた階段があり、階段を登ると、本堂がある。階段の途中で、下を見下ろすと、塔があるという、珍しい伽藍配置となっている。
  私の告白は続く。  
  「『金閣を焼けば』と独言した。『その教育的効果は、いちじるしいものがあるだろう。そのおかげで人は、類推による不滅が何の意味ももたないことを学ぶからだ。ただ単に持続してきた、五百五十年のあいだ鏡湖池畔に立ちつづけてきたということが、何の保証にもならぬことを学ぶからだ。我々の生存がその上に乗っかている自明の前提が、明日にも崩れるという不安を学ぶからだ。』」
 平成23年3月11日、大地震によって引き起こされた未曾有の大津波によって、福島原発第1号機から第4号機までが破壊され、周囲20km圏が完全に人の住めない地域となってしまった。大自然の力によって、不滅といわれた原子力の火がふっとんでしまった。日本原子力発電株式会社(原電)の東海発電所が日本で初めて臨界到達したのが、昭和40年(1965年)5月4日、わずか45年である。