26 新長谷寺三重塔(岐阜県関市)

長谷寺三重塔(岐阜県関市)

 関駅前の標示塔に「刃物と鵜飼そして円空ゆかりの地」とある。
 関市は、古より「関は千軒鍛冶屋の名所」と唄われた名刀の産地である。特に、「関の孫六」という名は、正宗、村正とならんで大衆に親しまれた。刀剣鍛冶が、最も栄えたのは室町時代で、この時の刀匠の数は、300人を数えたと云われている。
 江戸時代の中頃には刀剣鍛冶も衰えて、一部の刀匠は包丁や鎌などを打つ野鍛冶にかわり、更に、明治期になると、刀剣鍛冶の多くが、実用的な家庭用刃物の生産に転向した。いずれの刃物も「折れず曲がらずよく切れる」と評判の刀剣の技法が生きた高品質の刃物であった。その後、時代の変化に合わせて新技術を導入し、ドイツのゾーリンゲンと並ぶ世界的な刃物の産地に発展した。
 関市の鵜飼は、「小瀬鵜飼」と呼ばれる。小瀬鵜飼の歴史は、岐阜市内のいわゆる長良川鵜飼とともに古く、奈良時代史書にある「美濃鵜飼」の伝統を受け継いでいるといわれている。平安時代醍醐天皇から賞賛され、織田信長からは「鵜匠」という名称を与えられ、徳川家康には鮎ずしを献上したと伝えられている。5月11日夜開幕し、10月15日までの約5カ月間、その古式ゆかしい伝統の漁法は、今も長良川の川面で繰り広げられる。観光化が著しい長良川鵜飼と比べて、昔からの漁法としての鵜飼が色濃く残っており、人気があるという。
 円空(えんくう)は、江戸時代前期(1632年)に岐阜県で生まれた天台宗の僧であり、「円空仏」とも呼ばれる独特の作風を持った仏教彫刻で知られる。多作だが、雑なものはなく、作品のひとつひとつがそれぞれの個性をもっている。晩年、関市池尻の弥勒寺に自坊をかまえ、ここを本拠地として活躍し、長良川河畔で入定し(1695年)、その64年にわたる生涯を終えた。
 新長谷寺(しんちょうこくじ)は、山号は吉田山。山号より「吉田観音(きったかんのん)」と呼ばれることが多い。本尊は十一面観世音菩薩。三重塔、本堂など、国の重要文化財が多く、「美濃の法隆寺」の別名がある。
 貞応元年(1222年)、開山し、以降たびたび火災で焼失するが、現在の伽藍は、本堂が寛正元年(1460年)に再建されたほか、室町時代から江戸時代初期に、再建された。
 三重塔は、高さ 20.1m、国指定重要文化財、軒反りが美しい桧皮葺の屋根。二階堂出羽守行藤の息女理秀尼により、徳治2年(1307年)に建立されたと伝えるが火災に会い消失した。現在の三重塔は、寛正4年(1463年)に再建された。明和年間に三層屋根を銅板葺に改められ、昭和の修理で桧皮葺になった。
 寺院内には、三重塔、本堂をはじめとして計8棟もの室町時代の建築物が整然と立ち並び、宗教的雰囲気をつくっている。境内のあちらこちらに「観光地でありません。」「写真撮影禁止」の看板。本堂に入ると、住職と思われる方が、寺の女性に鋭く命を下している。雰囲気に圧倒され、声もかけられない。
 11月の3時過ぎ、境内には大きな樹木もなく、あるのは、諸堂とその長い影、そして参拝客であり、観光客である私ただひとり。