32 観音経寺三重塔(千葉県山武郡芝山町)

観音経寺三重塔(千葉県山武郡芝山町
 芝山鉄道は、日本一のミニ鉄道である。
 東成田駅から芝山千代田駅まで1駅、路線距離2.2km、乗車時間約4分。成田空港の建設により、通行が分断されてしまう空港東側地域への補償のため、国が約束し建設した鉄道である。
 成田市三里塚を中心とした地区に成田空港を建設することが正式に決まったのは、昭和41年(1966年)7月の閣議である。芝山鉄道についても、会社は昭和56年(1981年)5月1日に設立されている。その建設が具体化したのは、隅谷調査団が主宰する成田空港問題円卓会議の終結後である。
 「東成田駅 - 芝山千代田駅」間の開業は、平成14年(2002年)10月である。
 東成田を発車した電車はしばらく空港内の地下トンネルを走行する。そのうち、いきなり左へカーブしたかと思うと今度は右へカーブと大きく蛇行する。未買収用地である。それからすぐに地上に出る。駐機しているたくさんの飛行機が眼に飛び込む。整備場を右手に望みながら、終点の芝山千代田駅に到着する。芝山千代田駅も含めて全線単線である。
 芝山仁王尊へは、芝山千代田駅から「ふれあいバス」で20分程度である。ふれあいバスは、1日5往復であり、当日は、予定の電車に乗り遅れ、タクシー利用。駅から仁王尊までは、9.2km、約20分を要した。メーターの動きにビクビクしながらの乗車であった。
 芝山仁王尊の正式名称は、天應山 福聚院 観音教寺といい、奈良時代末期天応元年(781年)光仁天皇の勅命により征東大使・藤原継縄公が、守り本尊である十一面観世音大菩薩を安置したことに始まる古刹である。
 中世には、千葉氏の祈願所として繁栄し、近隣に八十余宇の子院を置く大寺であった。
 江戸時代には徳川幕府の庇護のもと、十万石の格式を持つ伴頭拝領寺院として管内十州(関八州に出羽・陸奥を加える)の天台寺院を統括した。また、庶民の間では火事・泥棒除けの「お仁王様」の通称で親しまれ、火消し衆や商家の篤い信仰を得て「江戸の商家で火事泥棒除けのお仁王様のお札を祀らないお店(たな)はない」とまでいわれた。
 今日でも、一万坪に及ぶ境内に県文化財の三重塔など七堂伽藍が甍を競い、正月等縁日にはご利益を求める多くの参詣者で賑わうという。
 仁王尊は、黒塗りで別名「黒仁王」とも呼ばれ、日本で唯一と言われるお堂形式の仁王門に安置され、堂内の厨子に納められている。 像高2mで、インドの仏師「毘首羯摩(ビシュカツマ)」の作と伝えられ、古来から火難・盗難除けの尊像として広く信仰を集めている。現在の仁王堂は、明治4年(1871)上棟の建築で、堂内の畳の上に自由にあがって仁王尊にお詣りできるようになっている。
 三重塔は、県指定文化財、江戸時代 天保7年(1836年)建立、銅板平葺、高さ 24.98m。彩色を施さない白木造で、ボタンの花咲く庭、水屋など広い庭を前景として立っていた。どちらかのカルチャースクールでもあろう。中年の男女10数人が、日差しを避けてスケッチをしている。
 芝山鉄道延伸計画もあるようであるが、芝山町の中心部まででも早く建設を進め、成田不動尊と並び芝山仁王尊に、江戸期と同様、参詣者で年中賑わうことを望んでやまない。