34 貞祥寺三重塔(長野県佐久市)

貞祥寺三重塔(長野県佐久市

 佐久市の地図を見ると、中込駅の西方に「藤村旧居」とある。
 島崎藤村は、明治32年4月、小諸に赴任し、その月の下旬に冬子夫人と結婚して、小諸の馬場裏で新婚生活をはじめた。藤村の小諸時代の作品「雲」に、「もと士族屋敷の跡、二棟続いた草茸屋根の平家」と記されている。
 その住まいで、「落梅集」「雲」「千曲川のスケッチ」「旧主人」などが生まれ、詩から小説へ移行が行なわれて、名作「破戒」が書き始められた。
 その旧居が、佐久市内にある。
 JR小海線中込駅を下車し、千曲川を野沢橋で渡り、ぴんころ地蔵の山門通りを抜けると、ほぼ一本道で貞祥寺とある。
 真夏の日差しを避けるものもなく、田の中をまっすぐ伸びる道をうだりながら歩いていると、貞祥寺の目前のところで橋を架け替え中で川を越せない。左右を見渡しても近くに橋はない。川に沿って右方向に行く。炎天下5分も歩いて、やっと橋が見えてきた。徒歩30分の予定が50分を超えてやっと貞祥寺に到着。
 貞祥寺は、大永元年(1521年)、前山城主伴野貞祥(とものていしょう)によって創建された、佐久平を代表する曹洞宗名刹。杉、松、イチョウの老木がうっそうと茂る深閑とした境内には、300年前に再建された本堂をはじめ、総門や山門など七堂伽藍が立ち並ぶ。 
 三重塔は、本堂をさらに左奥に回り込み、階段の先、見上げる位置にあった。
 幕末の名宮大工といわれた小林源蔵の手になる江戸時代末期の建造物。銅板葺き、高さ 15.88m。小海町松原湖の神光寺にあったものを、明治3年(1870年)に移築した。初・二層は二軒繁垂木の平行垂木で、三層は扇垂木を用い変化をもたせている。県重要文化財(県宝)指定。周辺の木々と一体となり、屋根の深さもあいまって、階段の途中から見上げる姿がすばらしい。
 藤村旧居は、苔むす参道、石段の脇に樹木に隠れてあった。
 家の中から、70歳前後の女性が「どうぞ涼んでいってください。」と声を掛けてくれた。
 女性は、囲炉裏にまきをくべながら説明してくれる。藤村旧宅は、市からの依頼により地元で3交代制で当番を出し、月木以外一般開放している。
 藁ぶき屋根に虫がつくのを防ぐため、夏の間は煙でいぶしている。藤村は、小諸義塾教師として、明治32年から6年間、現在の小諸市で暮らした。その際、藤村が居宅としていたものを、大正9年、大家からの依頼で佐久市前山の本間隆氏が自敷地内に移転し、本間邸の一部として使用してきた。その後、昭和40年代に旧宅の買い取りを小諸市に依頼したが小諸市からは断られた。藤村生誕100年を迎えた昭和47年、佐久市が本間氏よりの寄贈を受け入れ、昭和49年に貞祥寺境内に復元された。藤村は、佐久市に住む神津氏に詩集の出版の際に支援を受けるなど、佐久市との因縁も深い。
 藤村ファンが多く訪れる。また住職が、禅の海外普及のため、アメリカ、ヨーロッパへとよく出かけるため、海外からの訪問者がけっこう訪れる。
 木々に覆われた旧宅を涼しい風が吹き抜け、物静かな女性の説明が柔らかく響く、藤村旧宅も、この場所にあって良かったと思っているのではないかと感じた。