40 長禅寺三重塔・五重塔(山梨県甲府市)

   

長禅寺三重塔・五重塔山梨県甲府市
 山梨県には、いわゆる古塔はない。
 恵林寺久遠寺、定林寺などの三重塔や五重塔も、すべて戦後に建てられたものである。
 長禅寺には、三重塔と五重塔二つの塔がある。三重塔は昭和53年(1978年)、五重塔は平成元年(1988年)に建てられた。
 三重塔は、彩色された本格木造塔である。屋根は銅板葺、総高18.6m(内相輪長5.5m)。信州青木村の大法寺の三重塔がモデルと云う。大型仏塔建立の技術研究のために建てられたもので、基本的には和様で統一されている。 
 五重塔は、白木の本格木造塔である。屋根は銅板葺、総高31.8m(相輪長8.5m)。宮崎忠仍棟梁を中心に10年以上かけて建立。当初、大型塔として七重塔の建立計画があったが、技術上及び資金上の問題などで、五重塔として建てられた。
 五重塔は、1300年以上にわたり地震で倒れた記録がない。五重塔の耐震性については、心柱が揺れを吸収するという「心柱振動吸収説」や五重構造自体の弾性が揺れを受け流す「柔構造説」など諸説ある。「NPO木の建築フォラム」と(独)防災科学技術研究所では、五重塔の耐震性の謎に迫るため、長禅寺五重塔の建設のために造られた1/5模型を実験に使用した。その実験の様子は、NHKの「日本の世界遺産、秘められた知恵と力」に紹介された。
 実験の結果、有力説の一つとされてきた「心柱振動吸収説」には、疑問符がつけられた。しかし、本当の理由はいまだに謎である。同研究所では、実験を重ね、さらに耐震性の謎に迫っていくという。 
 長禅寺は、JR中央本線甲府駅に着く寸前にある。
 中央本線のガードの目の前にある真新しい大きすぎるほどの山門をくぐると、その奥に古びた仁王門が見える。門の中には樹々が繁り、池を配した庭園の奥にどっしりとした大きな本堂がある。 本堂の右手手前に三重の塔、本堂の左手に五重塔が建ち、本堂を回り込んだ奥に大井夫人の霊廟がある。広い境内地に古さと新しさが共存している。
 五重塔と三重塔を合わせ持つところは、全国でもなかなか無い。五重塔は、風景にまだ溶け込めず、ずっしりと重たさを感じさせてしまう。三重塔は、時代を経過した落ち着きをみせている。
 長禅寺の前身は、甲府盆地西部の国人領主である大井氏の領する巨摩郡相沢(現在の南アルプス市)に建立された寺院で、大井氏の菩提寺であった。正和5年(1316年)に、夢窓疎石により真言宗寺院から臨済宗に改宗された。
 戦国時代になって大井氏の娘、大井夫人は、実父が信虎と争い敗れた際に人質同然に武田信虎と結婚させられ、嫡子晴信(信玄)をはじめ三男一女を産む。大井夫人は、兄弟を分け隔てなく愛情を注ぎ育て、親兄弟肉親同士と言えども争いの絶えない戦国時代にあって、晴信・信繁・信廉の三兄弟はお互いを助け支えあった。
 大井夫人の死去した天文21年(1552年)に、晴信は、現在の長禅寺を創建する。旧地に残された寺は古長禅寺として現存している。後に臨済宗諸寺院である甲府五山を定めた際に、晴信は、長禅寺を第一位としている。
 NHKの大河ドラマ風林火山」では、大井夫人を我々あこがれの清純派アイドルだった風吹ジュンが演じた。戦乱の世にあって、武田家安泰の象徴ともいえるその姿が、鮮やかに眼に浮かんでくる。