66 水間寺三重塔(大阪府貝塚市)


水間寺三重塔(大阪府貝塚市

 「泉州岸和田 5万3千岡部の城下 過ぎたるものが二つある だんじり祭りに千亀利のお城 よくぞ生まれた岸和田に」と、岸和田市の風物百選に歌われている。
 約300年の歴史と伝統を誇る岸和田の「だんじり祭」は、岡部氏3代目岸和田城主長泰が、城内三の丸に伏見稲荷神社を勧請し、五穀豊穣を祈願する稲荷祭りに領民の参拝を許したことが起源とされる。
 岸和田出身のファッションデザイナーとして有名なコシノ3姉妹の生みの親で、自身もファッションデザイナーとして活躍した小篠綾子さんの波乱万丈の人生を描いたNHKの朝ドラ「カーネーション」が、平成24年(2012年)4月に好評のうちに終了した。その冒頭のシーンで、だんじり祭りが登場し、女は乗れないだんじりの代わりがミシンにという設定であった。
 龍谷山水間寺は、徳川時代後期になって、岸和田城主岡部美濃守によって、本堂や三重塔が再建された。大阪府では唯一の江戸時代以前の三重塔である。
 水間寺は、聖武天皇の勅願所として行基によって開創、代々天皇の御宗敬深い寺であったが、天正13年(1585年)、豊臣秀吉根来寺攻略の際、其の臣堀秀政の軍勢によって火をかけられ、七重伽藍を初め坊舎等火焔に包まれてすべて灰燼に帰してしまった。
 本瓦葺、高さ 20mの三重塔は、本堂の東南にある。江戸時代後期天保5年(1834年)再建、使用されている部材や装飾などに本堂と同じ様式が見られることから、当寺の伝承どおり、本堂に引き続いて同じ棟梁らの手によって建てられたものと考えられている。ただし、蟇又(かえるまた)など初重の一部には、様式的にみて元禄年間(1688-1703年)に再建された際のものを使用しているとみられている。本堂とともに、現存する伽藍を構成する中心建築として貴重な建造物として、市の文化財に指定されている。
 井原西鶴の「日本永代蔵」に、水間寺の「利生(りしょう)の銭」が取り上げられている。
 「利生の銭」とは、水間寺に初午詣(旧初午の日)をして、来年の初午の日にはこの利生の銭を倍額にしてお返しすることによって、ご利益を頂戴するものである。
 ある年、関東から遥々とやってきた若い男、体格逞しく身なりは質素なるも古風ないでたちで「借銭一貫お頼み申す」と一声。役僧の手渡す貫刺しのままの一貫を受け取るや否や、国元も名前も告げず立ち去り、なかなか返済に来ない。寺では開山以来の重大な踏み倒しに違いないと思案に暮れていた。
 この男、江戸、小網町下手で船問屋を営んでいた。鍵の付いた硯箱に仕合丸と書きつけて水間寺の銭を入れておき、漁師が出船の際に「水間寺の有難い観音様のお足じゃ、借りれば豊漁間違いなし」といって百文ずつ貸し出した。借れば思わぬ仕合せが舞い込むと、口コミが広がり、借り手多数の大繁盛。出る銭以上に入る銭が増え、13年後には元手の一貫目が、何と8192貫にもなっていた。そこで通し馬に付けて東海道を水間へと運び、大金を寄進して塔を建立。後に、江戸でも隠れ無き分限、網屋の大店の主となったという。
 商人というものは、親の遺産などあてにせず、自分の才覚で稼ぎ出すのが商人の本懐なのだというお話。賭博で大金を損し会社の金で埋めさせた、どこかの御曹司に聞かせたい話である。