小休止(12) 京都5塔・兵庫1塔を巡る

小休止(12) 京都5塔・兵庫1塔を巡る

 5月下旬、たびたび寒気が入り込み、不安定な天気が続いた。やっといくらか落ち着くという天気予報を聞き、29日(火)から出掛けることにする。
 これまで、私の旅は、エコを基本として、公共交通機関とあとはどこまでも徒歩を貫いてきたが、今回予定している名草神社は、駅からバスの終点まで行き、終点から山道を9km歩かねばならないことから、やむを得ずレンタカーを利用することにした。
 

5月29日(火)


大宮→8:38/高崎線/9:06→上野→9:14/山手線/9:22→東京→9:33/新幹線ひかり507号/12:13→京都→12:20/JR奈良線/12:22→東福寺→12:33/京阪電鉄京阪本線/12:35→清水五条→12:40/徒歩距離:1.23km時間:15分/12:55→法観寺


 京都に着く寸前から雷にざあざあ雨。カッパでも出さなければダメかとおもっていたら、清水五条に着いたら、雨はやんでいた。歩いているうちに蒸し暑くなり、法観寺に着くころには、汗がじわじわと噴き出した来た。
 八坂通りには、修学旅行の中学生の集団やおばちゃんたち。

 なかには、人力車に乗ったおばちゃんもいる。車夫はやっと笑顔を作って車を引いている。
 今日は、法観寺の門は閉ざされており、五重塔に入れない。2階まで上がれるとのことであるが、2階から上がどうなっているのか、知りたかったが、残念ながらわからない。


法観寺→13:30/徒歩40分/14:10→金戒光明寺

 
 知恩院
 
 法観寺から円山公園を抜けて、知恩院、青連門院、京都市動物園と、岡崎通りを歩く。平安神宮の裏では、長蛇の列を作っているそば屋がある。そんな列を作るほど、美味しいのか、列があるから並ぶのか。
 金戒光明寺には、南門から入る。入ると間もなく、「江−姫たちの戦国」の看板。NHK大河ドラマの影響力は大きい。お江の供養塔に比べ、お福、春日の局の供養塔の小ささ。あの権力者でも遠慮があったのであろう。


   お江の供養塔



   春日の局の供養塔


 三重塔は、お江の供養塔の手前の石段を登ったところに立つ。



金戒光明寺→14:40/徒歩距離:1.18km時間:14分/14:55→真正極楽寺


 金戒光明寺の境内は、約四万坪と言われ、さすがに広い。歩いているうちに、空は、また暗くなってきた。遠くで雷の音がしだした。真正極楽寺真如堂)へと急ぐ。
 真如堂には、7、8人の学生風の参詣者がいた。空が暗いので、何か慌ただしそうに参詣している。
 寺の方に、一番近い公共交通機関の乗り場を尋ねる。「池の先で両側に石が立っている間をしばらく行くと広い道に出る。出たら、右に曲がり、しばらく行くと分かれ道があるので、右に行く。そのうち・・・、また右に曲がる。・・・・・・また、右へ行く。広い道路に出ると、右に『キンリン車庫』というバス停がある。17番に乗りなさい。」
 雨が降りそうなのに、気が気でない。とにかく、右へ右へ行けばいいのかなと思い、境内を迂回するように右へ右へと歩く。すると、バス停「錦林車庫」に出た。5、6分も待つと、京都駅行きのバスが来た。17番でないが、乗り込む。走って5分も立たないうちに、雨が降り出し、京都駅に着いたときは、土砂ぶりの雨。



京都→16:26/JR西日本特急きのさき9号/17:43→福知山



福知山 泊 



5月30日(水)



福知山→8:00/レンタカー59.0km/9:45→名草神社



 駅前のマツダレンタカーでAZワゴンを借り入れる。
 養父の市街地を抜け、山道に入ると、ベニバナウツギが真っ盛り。対向車には、まったく出遭わない。当初予定より30分早く、名草神社に到着する。駐車場入り口で、愛鳥家3名が超望遠レンズで野鳥を追いかけている。こちらを妙なやつが来たと見ているようだ。参道のゆるい坂を登っていくと、周りの風景に似つかわしくなく、晴れやかな三重塔が立っている。


 右側の階段を登ると、名草神社の本殿である。標高1139mの高さを誇る妙見山の8合目に鎮座し、宝暦4年(1754)に造営されたもので、さすがに歴史を感じさせる。三重塔とのミスマッチが面白い。
 戻りながら、日光院に寄る。日光院のホームページで、
 「但馬妙見」とは但馬の国で妙見大菩薩をお祀りしている日光院のことなのです。
日本三妙見の随一、但馬妙見とは日光院をおいて他には存在しません。と書かれていたのを読んだが、日光院は、明治の廃仏毀釈に由来する名草神社との争いがあり、三重塔は、本来日光院のもののようである。



名草神社→10:20/レンタカー/13:00→福知山→13:54/山陰本線/14:06→綾部→14:32/リレー号/15:03→東舞鶴→15:34/JR小浜線/15:40→徒歩約2116m 26分→金剛院



 13時に福知山駅前に到着。レンタカーを返して、福知山駅で、舞鶴駅行きを確認するが、やはり当初予定の時間以前に発車する電車はない。待合室で、今日の記録を整理しながら待つ。
 東舞鶴でも、30分の待ち、駅前通りを歩く。商店街はかなり立派であるが、人ひとり出会わない。
 松尾寺駅で降りて、国道27号線を歩く。車の通行が結構多い。20分弱で金剛院入口の看板。ふと見ると、バス停があった。帰りのバスの時間を調べると、4時56分に東舞鶴駅行きがある。これに乗ることに予定を変更し、金剛院へと急ぐ。三重塔は、事前に調べたところでは、境内に入らず、外の公園から見た方がよいとのことだったので、境内に入らず、隣接する鹿原公園から眺める。全景をよくとらえることができた。先に、ブログをまとめられた方に多多謝謝。
 三重塔を拝んで後、境内に入り、あの三島由紀夫の「金閣寺」の世界に触れる。脱走兵にあの愛人は、この階段で銃で撃たれたのか。階段はもっと長いのかと思ったら、意外と短い。三重塔は、階段のふもとにある。主人公は、この三重塔の辺りでそれを見ていたのか。





 庫裏に戻り、住職にお話を聞く。
 今では、あまり「金閣寺」を読んでくる人は少ない。最近は、NHK大河ドラマ「清盛」の父、平忠盛のゆかりの地として訪ねるものが増えているとのこと。昔は、当院にも、参詣者が多く、舞鶴の町も非常に栄えたという。いつ頃の話かと聞くと、日露戦争の頃とのこと。東郷大元帥もしばしば当院に参詣し、戦勝祈願をした。舞鶴港も軍船で賑わった。松尾寺も参詣者が多く、駅までできてしまった。往時のにぎわいを思い出しているかのように話は尽きない。もちろん、ご自身でみているはずはないのだが。
 残念ながら、バスの時刻が迫ってきた。住職にお断りしながら、寺を後にする。



金剛院→徒歩8分→鹿原→16:56/京都交通バス/17:10→東舞鶴→17:47/舞鶴線/17:54→西舞鶴



西舞鶴 泊 



5月31日(木)



西舞鶴→8:32/JR特急まいづる4号/10:06→京都→10:17/東海道山陽本線/10:31→山崎→徒歩距離:0.771km時間:9分→宝積寺



 山崎の駅を降りると、案内看板を持った若い人たちが、乗降客や駅前に駐車している黒の乗用車の群れを整理誘導している。胸には、アサヒビールのマークが付いている。アサヒビールのマークの付いたマイクロバスも止まっている。宝積寺の隣りにあるアサヒビールの美術館で、今日は、何かイベントがあるらしい。
 駅を出て、すぐの踏切に、黒塗りの車が列をなして、待っている。踏切を渡るとすぐ、かなりの急勾配の坂道である。美術館は、50メートルぐらいのところで右に曲がる。私は、あえぎながらまっすぐに登る。急坂は、宝積寺に入るまで続いた。
 宝積寺に着くと、日も強くなり、汗も噴き出す。豊臣軍もこの坂をあの鎧を着て登ったのだろうか。昔の人の体力は大したものである。





 宝積寺には、「大黒天 打ち出の小槌の 宝寺」の幟旗が立ち並ぶ。私も、打ち出の小槌のご利益を期待し、拝観する。


宝積寺→徒歩10分→山崎→11:35/東海道本線/11:50→京都→11:56/ 新幹線ひかり466号(指定席)/14:40→東京→15:08/京浜東北根岸線/15:27→赤羽→15:30/宇都宮線/15:45→大宮