24 日吉神社三重塔(岐阜県安八郡神戸町)

日吉神社三重塔(岐阜県安八郡神戸町

 明治39年1906年)5月1日に公開された横浜三溪園は、生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪(富太郎)によって、京都や鎌倉などから歴史的に価値の高い建造物が175,000m2に及ぶ園内に移築された。国の重要文化財10件12棟・横浜市指定有形文化財3棟を含め17棟の建築物がある。単に各地の建物を寄せ集めただけではなく、広大な敷地の起伏を生かし、庭園との調和を考慮し、巧みに配置されている。
 その中でも、三渓園のシンボルともいうべき建築物が、「旧燈明寺三重塔」である。大正3年(1914年)3月、三渓園に移築され、塔の姿がその全域から見ることができるように、丘の上に建てられた。関東地方で現存する三重の塔としては最も古いものの一つといわれている。
 原三渓は、生まれ故郷に近い岐阜県神戸(ごうと)町にある日吉神社の三重塔を、幼少の時代に仰ぎ見てとても強い印象を受けていた。三渓園という理想の庭を造るときに三重塔を中央の山の頂に据えたのも幼児期の思い出からだと伝えられている。
 神戸町は、大垣市の北隣にあり、平地と山地が接する小さな街である。しかし、この町は歴史の町として、その起源も古く、弘仁8年(817年)に美濃国味蜂麻郡(安八郡)の郡司安八太夫安次が開き、後に延暦寺荘園領として栄えてきた。日吉神社(ひよしじんじゃ)を中心に南北を貫く参道があり、古い家並が続いていて、門前町の風情に満ちている。
 日吉神社は、弘仁8年(817年)に伝教大師最澄が創建したと伝えられる神社で、近江坂本の日吉大権現を主神として7柱の神を祀り、往時は社僧八坊を有し、叡山とともに栄えてきた。本殿は、寛永7年(1630年)尾州候の寄進によるもので、県の重要文化財に指定されている。
 神殿には、伝教大師御自作の神像を始め、50余躰の彫刻像を現存している。その中でも特に、十一面観世音菩薩2躰、地蔵菩薩1躰、不破河内守奉献の狛犬は、三重塔とともに国の重要文化財に指定されている。
 三重塔は、永正年間斉藤利網が建立し、天正13年(1585年)に「頑固一徹」の語源となった稲葉一鉄が修造した。 規模壮大な室町時代の建築様式が遺憾なく発揮された、貴重な塔であり、国の重要文化財に指定されている。
 各階の平面が小さく、そのぶん軒が深く感じられる。見上げたときに各階がか細く、頼りない。
 日吉神社には、10世紀近く伝承されてきた日吉山王まつり(通称は「神戸(ごうと)の火祭り」)と呼ばれるお祭りがある。勇壮かつ豪快な火祭りとして知られ、毎年5月3、4日に行われ、特に4日の深夜零時に御拝殿から、特製の松明を先頭に、総重量200キロ以上もなる御輿を次々と担ぎ、参道を走り、川の浅瀬を走り抜く。このとき火まつりは、最高潮に達する。
 この春の大祭は格式ある祭典として、祭り行事の全てが岐阜県重要無形民俗文化財の指定を受けている。
 神社でありながら、日吉御神像や狛犬などとともに十一面観世音菩薩像や地蔵菩薩像が置かれ、また、三重塔の前には竈の神が祭られている。さらに、境内には「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の石造の像がある。今に神仏混淆の名残を多く残し、何とも面白い。